メドハギで占った国の行く末

あぜのはら散歩

皆さんは占いを信じますか。

「占い」とは、様々な方法で人の心のうちや運勢や未来など、直接観察できないものについて判断、予言することやその方法をいう、とあります。

今や占いは巷にあふれています。占いの種類も血液型、誕生月、星座やおみくじなどテレビや雑誌の中で一つのコーナーとしても取り上げられていますし、その他にも手相やタロット、四柱推命…本当にたくさんの種類があります。では世界中で一体どれだけ占いの数が存在しているかご存じでしょうか。

答えは…、

「数えきれない」のだそうです。

皆さんは占いを信じますか。あるいは、これなら信じられるという占いがありますか。はたまた一切信じない、または良い結果が出た時だけは信じるなど、人によっても占いについての考え方は様々かと思います。

現代のように科学が発達していなかった昔、「占い」は政治(まつりごと)と密接な関係にありました。時代によっては「占い」は政治にも相当強い影響力を持っていましたし、占いの結果で国の方針が左右されたことも充分にあったでしょう。

2~3世紀の頃には、邪馬台国の女王、卑弥呼が神のお告げを得てクニを治めていたと言われています。また、古墳時代には亀の甲羅を焼いて吉凶を判断するという占いも行われました。根拠がない、と軽視されがちな占いの中でもこの亀の甲羅や動物の肩甲骨を焼くという方法では、占いに使われる動物の生息地から栄養状態が分かる為、都市建設や農作物の育成に関してはそれなりの根拠があったとも言われています。

その後、中国からの占いも伝わり、天武天皇、持統天皇らが治めていた時代には儀式の日時や場所の決定など占いによって導き出され、政治に取り入れられました。中国から渡ってきた占いは、まさしく「易占い」でした。

また、時も平安となると陰陽師、安倍晴明の活躍が盛んになったそうですが…、話は先ほどの易に戻します。

ちなみに、易占いとは…古代中国を起源とし、今後どのようにすれば良いのか指針を知るのに適している占い、とあります。

大変古くからある占いですが、いま現代でも「易」という言葉は見聞きしますし、易占いを職業とするプロの易者もいらっしゃいます。

なので、ジャラジャラと音を立てる筮竹(ぜいちく)と呼ばれる竹ひごのような棒で、易者に占ってもらった方も少なくないのではないでしょうか。

その、易占いの道具、筮竹(ぜいちく)に使われている、「筮」という言葉ですが、私たち現代人が今も使っている、ある言葉の語源になっているのをご存じでしょうか。※易占い使う筮竹(ぜいちく)には「竹」という漢字がありますが、実は素材が竹でない物も全て「筮竹」と呼びます。

まず、「筮」という漢字の読み方ですが、

「筮」…(音読み…サク、キョウ)・(訓読み…はかりごと、めどぎ、はし)となっています。

読み方はいろいろとあるようですね。その中でも訓読みの中の「めどぎ」という読み方が、私たちが今も使っているある言葉の元となっています。

なお、古い時代には筮竹の原料は以下の「めどぎ」が使われました。

〇筮(めどぎ)…メドギハギ。のちにメドハギと呼ばれるようになる。

〇蓍(めどぎ)…ノコギリソウ。

これらのめどぎの茎や枝を筮竹として用いたそうです。昔は竹ではなく草(メドハギ、ノコギリソウ)の枝を、あのジャラジャラ音がする筮竹みたいに占いの道具として使っていたのですね。

白い花を咲かせたメドハギ

なお、筮竹(ぜいちく)の筮(ぜい)は、訓読みで「めどぎ」とも読みます。

すなわち、易占いで使う草を「めどぎ」と呼んでいたんですね。そうして、めどぎ(筮)に使うはぎ(萩)ということでこの植物はメドギハギという名前がついたわけです。 

しかしながら、メドギの通称としてメドと呼ばれたり、言葉の訛(なまり)などから、しだいに「メドギハギ」は「メドハギ」と言い換えられ、広まってしまいました。

前述の通り、易占いとは、今後どのようにすれば良いのか指針を知るのに適している占い。さらには将来向かうべきところを表します。占いの道具であったメドギハギがその名を「メドギ」ハギから「メド」ハギに変えてしまっても、メドギが筮竹として占いで行く先を導いた「目標、見通し」は、メド(目処)という字があてがわれ、大元の意味はそのままの残ることとなった、というわけです。

今も私たちは、見通しが立った時には「目処(めど)がついた」という表現をしますね。

ですので、今、私たちが使っている「めどが立つ」の「めど」とは、もともとはメドハギ、さらにはメドハギが筮竹として占いに使われていたことに因るものなのです。

「目」…目指すべき目標、「処」…進むべき場所、 これらはまさに人々が永遠に抱える迷い、悩みとも言えますね。人生において、どこに向かえば良いのかと迷う状況は誰にも起こりうるものです。

ひと昔前ではその解決を占いに頼り、占いから導き出した答えが政治や人々の暮らしに影響を与えるのは珍しいことではありませんでした。

さて、その筮竹に使われていたメドギハギ、もといメドハギですが、今でも色々な場所で見ることが出来る雑草です。日当たりが良ければ、草地、道端や堤防、川原など様々な場所で育ちます。

日常の中でなにげなくご覧になられている方も多いのではないでしょうか。

茎は硬く木質化するので、前述の通りかつては易占いに筮竹として使われたり(1本がだいたい35~55㎝のものを50本使用)、身近に採取ができ丈夫なことから加工したものが日常生活で使われていたかも知れません。現代でも地域によればお盆の膳にお箸(はし)としてお供えする風習もあります。それは占いが神の意志を伝える聖なる儀式として敬われていた名残りなのかも知れませんね。

儀式として色々な準備が必要な占いがある一方で、摘んだ花の花びらを一枚ずつ「好き、きらい、好き、きらい…」とちぎっていき最後の一枚で結果を占うという花占いはとてもシンプルです。好きな異性が自分の事をどう思っているのか気になるのは思春期にはよくあること、野の花を摘んで占った経験を持つ方は少なくないと思います。 

また、蹴り投げた下駄の落下の向きで天気を予想することも、農作物の成長や収穫には天気がとても重要な情報だったわけですから、農作業で生計を立てていた人が殆どだった時代には、天気がどうなるのか切に知りたいと願う人の思いによって自然に発生した占いだったのかも知れません。

また、メドハギを筮竹とした易占いが流行していた遥か昔にも、正しい知識を持っていない庶民がメドハギを使い、占いの真似事、あるいは我流の占いをしていたかも知れませんね。

真似事の占いや花占い、下駄占い、いずれも占いの結果には根拠もなく信憑性には欠けますが、心のよりどころや気休めとしては、ひと役かっているのでしょう。これこそが世界中で数えきれないほどの占いが存在する理由のひとつと言えそうです。

しかしながら、ある時代には天皇が国の行く末を占う、占いの道具として起用された植物ですが、今や雑草とされるメドハギにその面影をうかがうことは難しいかも知れません。

ただ、他のハギのようにしなだれずに真っすぐに伸びる枝は、占いにより進むべき先を示した筮竹の元祖であったことを如実に物語っています。

遥かな昔、小倉百人一首でも有名な持統天皇が国を統治していた時代にはメドハギを用い、国家の重要事項の決定も占いによって導き出していたというのは前述の通りですが、占いの結果がそのまま採用されても不思議ではなかった時代、当時のメドハギによる占いの結果が少しでも違っていたら、日本という国は今も続いていなかったかも知れません。自分も存在していなかったかも知れません。

大げさな話なのかも知れませんが、そのようなことを考えつつ改めてメドハギに目を向けると、不思議なことにさっきとは趣も変わったように見えた気がしました。 

  

 

 

 

 

 

 

 

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