私、フミの母ちゃんが亡くなるずっと前、こんなことを言っていました。
「〇〇(母ちゃんが生まれ育った村の地名)の人はみんないい人ばかりだから、お墓の傍を通った時にはきっと野山の花を供えてくれる。だから、淋しくはない。私が死んだときには〇〇に帰りたい。」と。
母ちゃんの故郷は豪雪地帯ともいえる山奥。
実家の跡を継ぐ者どころか今は生家もなくなって久しく、あるのはただ親族が眠るお墓のみといった感じなのですが、実際に母ちゃんが旅立った時、父ちゃんは自分で墓石を買ってきて母ちゃんのお墓をつくったのでした。母ちゃんの親族が眠る墓地の一角に…。
母ちゃんのお墓を建てることについては事前に何も聞かされていなかったので(結局のところ誰も何も聞かされていなかったわけですが)、私としては、80歳の老人が勝手に一人で、高速道路も使いながら片道200キロほどの遠路を運転し、墓地に着いたら着いたで砂利を敷いたり、重い墓石を立てたことを、素直に感謝するというよりは驚くやら呆れるやら腹が立つやらで、何とはなく父ちゃんとの関係はこれ以降ギクシャクとした空気がなりを潜めるようになってしまいました。もともとは父ちゃんは造園業、庭師だったのですが、とはいえ墓地へ行くのもお墓を建てるという重労働も80歳という年齢を考えれば一般的には反対しますよね?
更には父ちゃんはお墓をつくったことで母ちゃんへの弔いは完了した気分になっており、法事には全く関心がなく誘っても行かないと決め込んでいました(…なので私が施主として執り行いました)。
しかしながら一人で暮らす父ちゃんに私は一、二か月に一度ほど安否確認も兼ね、電話で近況を尋ねることはしていましたが、ある時、父ちゃんにお花の世話を頼むことにしました。
カタログを見ていたらとても綺麗なお花に目が留まり、さっそく注文し、花の株(葉はついてないです、5センチほどの茎と根っこだけです)は届いたものの、私が本当に綺麗な花を咲かせられるのか全く自信もなく、
「花が咲いたら母ちゃんの仏前に供えたいから、父ちゃん、花が咲く迄ちょっと花の面倒を見てくれないかなぁ。私やと枯らしてしまいそうで不安。」というと、
「何の花なんや?」と父ちゃん。
「変わり芍薬、ソルベット。」というと、分かった、いつでも持ってきたらええからとの返事。※このあたりの話は以前のブログ「枯らすまじ芍薬」とも重なります☆
それからしばらくして、私は母ちゃんのお墓の隅に桔梗を植えるつもりなのだと父に告げました。
「種から発芽させた桔梗が立派な株に成長しているから、それを植えたら夏の盛りには母ちゃんの好きな紫色の花を咲かせてくれると思う。第一、母ちゃんが言っていたように道行く人が野端の花を手折って供えてくれるなんてこと、もう人も通らないような山道ではありえないし、万が一にあっても咲いていたのは結構はなれたところにあったアザミだよ。アザミなんか痛くて誰も手折ってお墓に供えたりなんかしないと思うし。」
私がそう話してから、何か父ちゃんに心境の変化があったのか、なかったのか…。ある時、父ちゃんから電話が。
スマートフォンの操作もまだおぼつかない父ちゃんが電話をかけてきた、ということだけでも既に一大事です!
どうしたのかと尋ねると、桔梗を植えにお墓に行くなら同行させてくれないか、百合を用意するから母ちゃんに百合を植えてやろうかと思う。母ちゃん、百合も好きやったから、とのこと。
山の中にある墓地なので多少お墓の近くに花が咲いていようが問題はありませんが、もうお墓にも行かないし法事も行かないと言っていた父ちゃんなのに、父ちゃん自ら電話をかけてきて、母ちゃんのお墓参りに同行させてくれとは、どういう風の吹き回し??…そう思いつつも、父ちゃんの気が変わらないうちにと、先日、とても爽やかに晴れたおりに母ちゃんのお墓へ父ちゃんと行ってきました。
私の運転で父ちゃんの元へ約100キロを走り、そこからまた200キロ、高速もうねうねとした山道も走り母ちゃんのお墓に到着。
私がお供えのお花を準備している間に父ちゃんはスコップ片手に、早々に母ちゃんの為の植物を植え終わったようでした。どう見てもそれは百合ではなかったので品種をきくと、今は百合を植え替えるのには時期が悪いから野菊を持ってきたとのことでした。私が育てた桔梗の横に父ちゃんが植えた野菊、二種類の花が母ちゃんのお墓の傍で咲いてくれるのは夏には叶うでしょうか…、また再びお盆の頃にはお墓参りに来たいと思います。
お墓の掃除やお線香など一通りお参りを済ませてから、私は父ちゃんとお墓を下ったところの野原の畔に遅ればせに生えていたワラビを採りました。父ちゃんはイタドリも採っていました。そもそもには山菜は母ちゃんが好きで春になれば毎年のようにワラビやゼンマイを採っては、湯がいて揉んでお日様に干し乾燥させていました。こうすれば、常温の保存も可能で、冬になっても山菜の煮物を食べることが出来ます。
母ちゃんは本当に山菜が好きだったよなぁ、と父ちゃんと話をしつつも私はふと不思議に思いました。それは畔を見渡すに、伸びきったワラビが多く(多分、地元の方が山菜を採るにはもっと密集して生えているコスパのいい山、もとい自宅から近所の山とかに行くでしょうから、人里離れた畔のワラビは採る人が滅多にいないのではないかと思います)、季節ももう初夏を迎えようとしています。雪深い山奥の地域ではあってもさすがにワラビは時期が過ぎている頃です。
なのに、両手に握る程度の本数ではありましたが、まだワラビが残っていました。母ちゃんが私たちに土産としてはからってくれたのでしょうか。久しぶりに嗅ぐ山菜の香りと共に、母ちゃんと一緒にワラビをとった幼い頃の思い出がよみがえりました。
山奥の日暮れは心なしか早いです。
そろそろ帰ろうと、私はワラビを、父ちゃんはイタドリをそれぞれに手に掴み、車を止めている場所に向かいました。
藪の中でひっそりうつ向いている花に目が留まりました。百合の様ですが、花は咲いていません。初めて見る花です。父ちゃんにすかさず訊きます。これはなんていう花?「ナルコユリや。」と即答の父ちゃん。
また少しして父ちゃんが、「変わった花やなぁ、これイチリンソウいうんやで。」と教えてくれました。え、イチリンソウじゃないで、たぶんハナイカダっていうんやで、と私。「ほぉ?そおかぁ?イチリンソウじゃないんかいなぁ。」と父ちゃん。
植物に全く詳しくない50歳の娘と、もと植木職人、兼業農家の経歴を持つ80歳の父が野原で山菜摘みを楽しんだのちに草木の名前について、あぁでもないこうでもないとやり取りをする様を、母をはじめ墓地に眠る親戚やご先祖様はきっと草葉の陰で笑っていたと思います…あんな花の名前すら知らないのか、と。
もっというなれば、二人が持っているのはスマートフォン。目の前の名前が分からない植物はカメラに収め、検索をかければ簡単に名前を調べることができるのです。それをようやく最近になって知った娘。
デジタル時代を迎えるにあたり父ちゃんは大丈夫かと心配でしたが、自分も充分危ういかも知れません…。
しかしながら、また改めて、桔梗と野菊が無事に咲くことができたのか父ちゃんと一緒にお墓にこようと思っています。
※…父ちゃんが「ナルコユリ」と言っていたのは「ホウチャクソウ」でした。
また、父ちゃんが「イチリンソウ」と言い、私が「ハナイカダ」と言っていたのは実は「ミヤマ(シロバナ)エンレイソウ」でした。
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