秋空に吹っ飛ぶ

ふみの縁側茶話会

なんて運動会にふさわしい日なのだろう!!
しみじみとそう思える日が最近何日もありました。空は高々としていてどこまでも青く澄み渡り、太陽は晴ればれ。
吹く風はさわやかで朝から夕方までずっと戸外で過ごしていたいような絶好の秋の日、こんな日を私は運動会日和と呼んでいます。
ただ、最近では熱中症対策など諸事情により運動会を秋ではなく春に開催とする学校も少なくないようです。
皆さんの思い出にある運動会の季節はいつですか?

私は幼稚園からずっと運動会といえば秋の開催で、運動会の練習として夏休みでも学校に登校することはあったのですが
(そもそも夏休み期間中に夏休みの宿題の答え合わせをクラス全員でしたりホームルーム的な時間を過ごしたりなど、10日に一度ぐらいは登校日が設けられていた記憶があります)

昔はいまほど気温も高くなく熱中症(当時は熱射病と呼ばれていた)の危険も殆どありませんでした。

ですので、ピーカン照りの真夏の日差しを浴びながら運動会の練習をするのは当たり前、
そして雲一つない青空が広がり、時おり涼しい風が吹くようになると運動会まであともう少しだなと思ったものでした。

運動会には、走るのが早い子、ダンスの上手な子、運動会ならではのヒーロー、ヒロインがいましたね。
運動場はまさに彼、彼女たちのステージでした。私はというと運動場が私のステージになることは
まったくもってありえないことでしたが、自身の運動会における活躍がどうこうよりも(運痴の負け惜しみではなく…)
夏から少しずつ気候が変わり、運動会の頃にもなると秋の空は本当に心地よく、また、偶然にも運動会当日が雨天に見舞われる年がなかったので余計に私の中では、すがすがしい秋晴れ=運動会日和、と称するようになりました。

こんな秋の良き日に私は吹っ飛んだことがあります。
おしくらまんじゅうなど遊んでいる時に人に突き飛ばされたとか、台風や強風に飛ばされたのでもなく、多分、飛んだのだろうなぁという吹っ飛び方をしたのです。

一体どういうこと?と思われますよね。

もうン十年前、私フミが小学生の頃のことですが。
フミの母ちゃんは自宅から歩いて10分ほどの山へ二、三日に一度は散歩がてら出かけていました。春は山菜、秋はアケビや木の実など季節に応じて山の恵みを堪能していました。私は母ちゃんに誘われて一緒に山へ行くことも多かったのですが、近所の親しい一家(1つ上の学年の女の子のメイちゃん、メイちゃんの弟で私より1つ下のトシ君、そしてメイちゃんとトシ君のお婆ちゃん)が一緒のことも時々ありました。

その、近所の親しい一家と一緒に山に行った時のこと、季節はちょうど秋。
最初からアケビをとることが目的ではなかったのですが、山道を歩いている時に母ちゃんがアケビを見つけ、アケビの実がついているそのツルをたぐり寄せようと母ちゃんは手を伸ばしました。
アケビのツルは、山道から少し離れたところに生えている木に巻き付いていました。

山道の両端の、片側は山から染み出る水が流せるようにコンクリートの溝になっていて、
もう片側は絶壁とまではいかないにしろ急な斜面になっています。母ちゃんがツルを掴んだ木は斜面の下の方から生えていました。斜面の下まではかなり距離があってよく見えませんでしたが滑り落ちれば無傷ではいられなさそうでした。

そんな危険を冒してまでアケビを取る理由なんて全然ないのですが、
母ちゃんはツルを引っ張れば簡単にアケビが取れると思っていたようです。

ツルを引っ張っている母ちゃんが落ちてはいけないと、近所のお婆ちゃんが母ちゃんの腰元を、まるで「だっこちゃん人形」のように支えています。お婆ちゃんが巻き添えになって落ちると危ないとばかりにメイちゃんはお婆ちゃんの腰元を抱えます。トシ君はメイちゃんの腰をつかまえます。

もう、こうなったら「おおきなカブ」の話みたいですよね。
大きなカブを抜こうにもなかなか抜くことができないおじいさんの後ろに
動物までもが連なって力を合わせてカブを引き抜きにかかります。

小さなアケビ1つをとるためにみんなで力を合わせたかったのかどうかはともかく、
この並びの最後尾で私はトシ君の腰を支えていました。

私の記憶はここで途切れます。

時間がどれくらい過ぎたかどうかすらわかりません。

ただ、私の名前を呼ぶ声が聞こえたのです。かなり遠くから、母ちゃん、お婆ちゃん、メイちゃん、トシ君、、、みんなが私を呼んでいるようでした。 

そしてふと目を開けてみて、真上に見えたものは哀しいほど透明な青い空でした。
私が運動会日和とする爽やかで心地よい秋の空。

私は自分がどこにいるのかもすぐには分かりませんでした。

辺りを見るにどうやら私はコンクリートの溝にピッチリと、埋まるかのようにはまっていたのでした。

誰かが呼ぶ声に私が返事をするとみんなが寄ってきて、なんでそんなところにいるのか驚いたり(私が知りたい)
溝にピッタリなハマり具合を笑ったり(早く起きるの手伝ってほしい)

結局のところ笑い話で終わったことですが、私はどうやら、見事に吹っ飛んだようなのです。

アケビのツルを引っ張っていた母ちゃんの、ツルが切れた時のその反動は、母ちゃんの後ろであればあるだけ強く受け、最後尾の私が一番強い衝撃を受けたようなのです。

もう少し詳しく説明しますね。

例えばの話、数人で綱引きをしていると仮定します。対戦している相手のチームと自分のチームは互角に引っ張り合っているなか、突然相手チームが綱から手を離したとします。そんなことをされたら、自分のチームは綱を引いていた方(後方)へとみんな倒れ込んでしまいますよね。まさにそんな感じで、母ちゃんの引っ張っていたアケビのツルが切れた瞬間、その勢いは人の重みも加わり、後ろにいればいただけ人数分の力が作用し、結果的に私は母ちゃん、お婆ちゃん、メイちゃん、トシ君の四人分の重みとパワーで飛んでいったということです。

飛んだであろうその瞬間は覚えてないのですが、みんなに気づかれなかったほど離れた所に一瞬で移動していたことを思うに多分、飛んだのだと思います。                 

いま思えば、古き良き時代なのでしょうね。
私は頭も含め体のあちこちを打ったんですが念のために病院へ行った方がいいなんて誰も言わなかったし、ただただ私が見事にピチピチに溝に埋まっている様を笑っていただけでした。

あの日のアケビは一体だれが食べたのかさえもう覚えてはいないのだけど、でも快い秋晴れ、運動会日和には思い出します。

残暑も抜け、過ごしやすくはあるものの秋の訪れは少し切ないような、空も遠くなったような、、、、溝に埋まった状態で目にしたあの空をこれからも私はずっと忘れないと思います。
そして、その秋の空は時に郷愁も誘うような気がします。

ちなみにアケビで(?)私が吹っ飛んでから数年後、メイちゃん一家は遠くに引っ越しました。
そのまま音信不通になりました。
遊ぶことに目いっぱいだった小学生の頃、馬鹿なことも数えきれないほどやらかしましたが、メイちゃんとは楽しい思い出ばかりです。
今も彼女が元気で幸せに過ごしていてくれたら嬉しく思います。

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