母の生まれ故郷は、控えめに言ってとんでもなく山奥の豪雪地帯です。
北国でもないのに。
母の故郷の冬というのは、雪がひとたび降り始めると家屋の一階部分は完全に埋もれてしまうらしく、出入りは二階の窓からだったとのこと。よく降り、そして長く積もったままとなる雪の為、子供たちはみんなスキーがうまくなってしまう、と母は私によく話してくれました。
そんな母の故郷(村)の近くには、古くから続いているスキー場があります。
そのような母の育った村や雪の様子は話に聞くだけで、知りたいと思っても私には冬の季節に訪れる機会もなく、また、昔の写真で当時の積雪量を知ることもありませんでした。(母の持っていた写真には、自分の生まれ故郷が映ったものは一枚もなかったことを思えば仕方のない事ですが…)
唯一、私が母の故郷に母と訪れたのは二十数年前。季節は晩夏の一度きり。母と一緒に母方の親族の墓参でしたが、結局、(母と一緒に訪れるのは)この時が最初で最後となりました。
その、二十数年に訪れた時でさえ母が生まれ育った生家はとうになく、昔には集落があっただろう痕跡、廃屋の一つだに見当たりませんでした。代々、耕されていた田畑も長い間放置され、いつしかススキが我が物顔で跋扈し、誰に干渉されるでなく心地よさそうに風に揺られている様と、その隅に幾つかのお墓があった景色だけが私の印象に残っています。そして、舗装されていない山道の脇に、ぽつんぽつんと立っていた電柱だけが、「昔はここに集落があり人の暮らしがあったんだ。」と教えてくれているようでした。
今では人の暮らしも絶えて久しい山の谷あい。冬になれば一帯が雪に閉ざされてしまう生まれ故郷で、母は今、永遠の眠りについています。
そして、「とんでもなく山奥」へは、数年前に亡くなった母の墓参りとして定期的に訪れることとなりました。
ただ、母のお墓(母の故郷)は、前述の通り山奥の豪雪地帯ということで、その年の気候にもよりけりですが、晩秋以降、気温も下がってくると山から染み出ている水が山道や道路で凍ったり、平地では雨でも山に入るとみぞれや雪に変わるのも珍しくなく、父からは、
「墓参りに行くなら12月までが無難、また、春に墓参するなら雪が完全に解けきる4月末以降でないと山道には入れないかも知れない。」と言われていました。
「なぁに、雪ぐらい車のタイヤにチェーンを装備すれば大丈夫でしょう。」
と、そのように言う方もあるかも知れませんが、交通量のある国道から脇に逸れ、墓へと続く山道には今は人も住んでおらず、したがって、人の生活に不便のない場所については除雪車も積もった雪をよそへ運んでくれることはありません。国道は除雪されても国道から脇に逸れた山道の雪については放置され、雪解けは自然のまま、太陽のぬくもりに委ねるだけです。
ですので、残念ながらいったん雪が積もれば、母の村へは除雪車でなければ進めないほどの量となり、また、除雪車が出動しないとあっては、立ちはだかる雪を前に対し、チェーンを装着した程度の一般車両ではあまりに無力としか言いようがありません。
しかし、その一方では、温暖化が進んでいる昨今、父が言っていた4月末頃を待たずとも、ひょっとすれば3月でも雪が解けているのでは…?と、私の中でそんな考えもよぎり、3月半ば過ぎ、ちょうど春のお彼岸に母の故郷へ墓参りに行ってみることにしました。事前にインターネットで調べてみると、母の村へと続く国道では雪が解けていることも判りましたので。
問題は国道を逸れ、お墓へと続く細い山道と墓地周辺の積雪の状態です。
村の積雪状態をリアルタイムで教えてくれる親戚もおらず、実際の雪の様子は行ってみないと分かりません。山道の雪も消えていて、問題なく墓地まで車で進んで行けたら良いのですが、もしそれが叶わなければ、自宅から「とんでもなく山奥」まで片道5時間の道のりも、雪を前に踵を返すことになるかも知れません。
このことは私にはちょっとした賭けの様にも思えました。
無事に着けるか、或いは行っても積雪の多さに途中で引き返すか…。
そんなことを思いつつ迎えた墓参りの当日、朝からの快晴は数時間を経て高速道路を下りた時点でも変わらず。澄み渡る青空は心地よい春の陽気に満ちていました。
確かに、積雪を計測するスノーポールはまだ設置されたまま、日陰にぽつぽつと解け残りの様な雪はありましたが、今日のこの暖かさで全て消えるかも。そんな風にも思えました。
ただ、峠に入り段々と山も深くなるにつれて、さっきまでは「点在」だった雪が「常在」となり、目にする景色も全く違うものに変わっていきます。同時に急にひんやりとした空気が車内に漂いました。
インターネットで調べていた通り、国道は除雪により雪も全く残っていませんが、その国道を挟むかのように道路の脇ギリギリまで雪が迫っていました。国道以外はまだ雪景色でした。
しかしながら、かろうじて国道から山道に入ってすぐのところには車を止めることができました。その先は雪も深く残っており墓地へは歩いて行くことにしました。
深いところでは膝の高さの雪が残っていた為、雪に不慣れな私には歩きづらくはありましたが、夏や秋にはあんなに生い茂っていた藪笹やススキを雪が押さえ込んで覆い被さっている為、今まで植物に遮られていた視界の変わりように私は寒さも忘れてその景色を見入っていました。
春の陽は一面に降り注ぎ、雪から放たれたまばゆさと冷気は空気を澄み渡らせ、その凛とした春と冬の混在する世界の美しさに、私は寒さも忘れていました。
そして、幸いにも墓石の周りだけは雪が解けていたのでお参りも無事に終えられました。
仮にもしここに来るのが1週間、或いは数日早ければ、当然ながら今以上に雪が残っていたでしょうし、山道に入ることもままならず、墓参りも叶わぬまま(お墓へも近づけず)、引き返した可能性も否めません。
その一方で、多少の雪は残っていても、完全に道が閉ざされておらず何とか墓参りは可能という、このギリギリともいえる絶妙なタイミングで母の故郷に来られたことは、母がこの雪景色を私に見せてくれたようにも思えました。
「母さんが育った頃ほどの雪は残ってはないけど、それでも雪解け間近の春の銀世界も綺麗でしょ。なかなか見ることもないやろうし、よう見て帰んなさいな。」
母が生前、雪が多い地域だと言っていたかつての集落。写真でさえ見た事もなかった雪景色。
当時と全く同じ景色ではないにしろ、母が昔に見ていた一面の雪景色を私も見れたことは感無量でした。
また、春特有の穏やかな陽気、澄んだ青空に甲高い鳥の鳴き声が響き渡り、凍っていた川は轟轟と雪解け水を流し、時おりドサッと鈍い音を立て木々から雪の塊が落ち、雪に押しつぶされていた藪笹の群生は雪が薄くなったところから弓矢を引くような音……ヒュンッと素早く風の音と共に起き上がり始め、辺りは春へと加速する音に満ち溢れていました。
雪の解け始めの頃、あちこちで聞こえるそれらの音はまさしく春の兆し、春の音に思えます。
ちなみに、雪は八角形や六角形など複雑な形の結晶の為、降っている状態でも積もっている状態でも振動(音)を吸収するのだそうです。
暖かくなる中、残雪にとっては沢山の音の吸収、とりわけ春の音を包み込むことが最期のひと仕事なのかも知れません。
春の音にとどまらず、雪に不慣れな私が水を汲もうと沢の近くで滑って転んで叫んだ「いったぁ!」。
そして、転んだ自分がおかしくて大笑いした「あっはっは!!」。
それらも雪に吸われたでしょうか。
その声に紛れて、ひょっとしたら草葉の陰から母が思わず漏らしたかもしれません。
「ぷっ(笑)、それしきの雪で滑ってこけるなんて。」
……雪に包まれてしまっては確かめようもないことですが。
雪の中、墓参した春のお彼岸でのこと。
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