靴に捧ぐ3つの祈り…

ふみの縁側茶話会

道路には落ち葉やレジ袋などのゴミや靴の落し物とか、何らかのものが落ちている。

レジ袋みたいな軽いものは風で遠くに飛ばされることもあるが、靴の場合は置き去りのまま。車両に当たったり轢かれてたりして多少は動くかもしれないが、殆どは落下したであろうその場所の近くで留まっている。

なお、こういう時の靴の多くは片方の一足だけ。二足ひと組が落ちているというのも珍しいというか、全くないということもないのだろうが、でもその場合は事件や事故が起こったのではと、私の場合、無意識に想像がはたらいてしまう。ともかく、ちょっと辺りを見渡してもやはり道路上に落ちている靴は一足の場合が多い気がする。

しかしそもそもの話、なぜ履物の片方だけがぽつんと道にあるのだろう。

自転車やバイクの運転者が履いていたものが脱げてしまったのだろうか。いや、その場合は自身の足と足を置くペダルの感覚から違和感があるだろうからすぐに気づけるはず。そして、気づいてからすぐに落としてしまった場所まで拾いに引き返すことは、よほどの危険がない限りは可能だろう。

なので、二輪車なら運転者より後部に乗っていた者が何かの拍子に靴を落としてしまうケースの方が多いんじゃなかろうか。

或いは車を運転する時には靴を脱ぐ習慣のドライバーがドアを開けた時に片方の靴を落としたことに気づかずに発進させてしまったりとか。はたまた靴飛ばしで遊んでいたら思いのほか勢いよく靴が飛んでしまって見失ってしまったりとか、ひょっとしたらそういう原因だってあるかも知れない。(今、靴飛ばしという遊びをどれだけの子供が知っているかは想像もつかないのだけれど)

とにかく、大量生産の今のご時世には比較的安価で買える靴も多く、片方落としてしまったからといって落とし主の方も必死には靴を探さない気がする。仮に落とした場所の見当がついたとしても、遠方だったり、または交通量の多い道路の場合には拾いに行くのも危ないから、落としてしまった靴は最初から諦めるという選択も充分にあり得る。やはり命をかけてまで靴拾いはできない。   

そんなこんなで持ち主に迎えにきてもらえない片方の靴は、時に道路を通行する者からの注視を受けつつ、自分ではどうすることもできずに路上に留まり続ける。

風に舞い飛ぶこともなく、雨に打たれたり、車に轢かれたりしながら路上の靴は持ち主の傍にいるだろうもう片方の靴のことを想ったりもするのだろうか。自分が道路に落ちてしまったがばかりに、片方の靴ももう履けない靴、使い物にならない靴として捨てられてしまうのではと。 

落下後、すぐに持ち主に気づいてもらえない靴は道の上や道の隅にしばらくは置き去りの状態となるが、そのうち人の手でゴミとして処分されるだろう。まだ充分に使える靴であっても、たまたま落ちた場所が路上だった為に持ち主に見捨てられてしまうのは気の毒に思うけれど。そして、二足一対、いわば運命共同体という関係から、落ちていないもう片方の無事だった靴も、一足だけではどうしようもないので遅かれ早かれ持ち主に捨てられてしまうのだろうか。こちらの靴も何の落ち度もないまま捨てられてしまうとなれば気の毒な話だ。

だからといって無事に残っている一足だけの靴をどうしろと言うんだ、と言われても私にも分からないのだけれど。

ただ、道の上に落ちた靴を見るとそのまま放置されそうな気がして、そしてその靴の帰りを待つもう片方の靴も一足ではどうしようもないから遅かれ早かれ捨てられる気がして、私にはその両方の靴が切ない。

なので私は無意識にささやかな祈りを靴に捧ぐ。

片方だけ残された靴が持ち主の元へ戻れますように。

もう片方の靴との再会が叶いますように。

シンデレラの足から脱げてしまったガラスの靴が彼女に幸運をもたらしたように、ガラスではない路上の靴にもこれから幸せな物語が始まりますように。

コメント

タイトルとURLをコピーしました