最近は、幼い子供が雨に濡れないよう、風邪をひかぬようにと、自転車の後部が子供ごとすっぽり収まる自転車後部用レインカバーが大活躍。
カバーが装備されていない親子二人乗り自転車を探す方が難しいほどです。
しかし、いつから後部のレインカバー装着が当たり前になったのでしょうか。私が子供の頃は、自転車後部の荷台に子供を乗せるのに、子供のお尻が直に荷台に当たれば痛いだろうと荷台に座布団が敷かれているだけでも装備充分な昭和の時代でした。
なお、私の母は自転車に乗ることができなかったので、幼稚園や小学校低学年の頃、同級生が母親の自転車の後ろに乗っている姿は私にはとても羨ましく映りました。
今思うに、あの頃は羨ましさも単純でした。
(歩くよりも高い位置で周りを見渡せて、すいすいと速く進む自転車。夏は涼しいし、冬の寒い日はとっとと目的地へ行ける。お母さんに運転してもらえて、みんないいなぁ。)そんな風に思っていました。母親が運転する(大人の)自転車に乗ることが出来る羨望は、補助輪付きの自転車しか乗れなかった私にはひとしおでした。
ですが、かなりの年を経て、今、ふと思うことがあります。
私が自転車の後部に乗っていた同級生たちを羨んだ理由は他にもあったのかもと。
ちなみに、自我の目覚めは3才頃。拙いながらも母親や周りの手を借りずに自分のことが出来るようになる時期でもあります。そして月日の流れと共に自信もつき、子供なりのプライドも培われ、時に母の存在が疎ましく感じたり、甘えやスキンシップに恥ずかしさや照れが生じたりすることも…。
それでも自転車の後ろに乗る時は、安全の為にも子供の手はサドル辺りを掴んでいたり、自転車を漕ぐお母さんの腰に手をまわしていたはずです。
ちょっと悲しいことがあった時、面と向かって話しづらい時、ココロがしょんぼりしている時、自転車をこぐ母の真後ろで母のぬくもりや母の存在感を実感できるというのは、子供にとってどれほど嬉しく、心強かったことでしょう。
「寒いから」とか「道がデコボコで揺れて怖いから」とか、理由はどうあれウソであれ、お母さんにしがみつきたい時にしがみつける特権が自転車の荷台にはあったんじゃないかと思います。かつての同級生たちが自転車の後ろにまたがっている姿に、私は、私にはない特権を見たのかも知れません。
近ごろよく見かける、カプセルのような立派なレインカバーが自転車の後部に装備されているのは、子供を雨から守る為の母の愛。
かたや、立派な装備のない、母のぬくもりが直に感じられる自転の荷台も私は悪くないと思います。お座布を敷かないとお尻がちょっと痛いかもしれませんけどね(笑)
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