目の色が変わる 

雑学チックな「へぇ」話 

これから書く内容は、私が偶然その場に居合わせ、たまたま目にしたテレビ番組についてのことなのですが、番組を最初から最後までを観ていたわけでもなく、番組の中の一部分的の情報から私が思ったことですので、ひょっとすると情報には偏りがあるかも知れません。それらのことをお含みおき頂いてご覧いただければ幸いに思います。

  

そのテレビ番組は、バラエティ番組と情報番組を足した様な内容でした。特定のジャンルに精通した専門家が解説者として招かれていて、為になることや新しく発見されたこと、多くの人が勘違いをしていることなど、一つのテーマについて分かりやすく説明をしていました。概ね、司会者やゲスト数名とのやり取りを交え、「へぇ~、そうだったんだ!」と納得できるようなところで完結、そしてまた次のテーマへ進む、といった具合に進行しているようでした。

  

ちょうどその番組が私の目に映った時、博識そうな男性が、「チンパンジーやゴリラはヒトに近い生き物です。チンパンジーはヒトの遺伝子とよく似ています。云々…」と話していました。ちなみに私は猿の仲間について特に詳しくも興味もなく、耳に入る音声は聞き流しに近い状態で右から左へと流れていました。

ただ、話の内容が生物の瞳の色に及んだ時には「ん?」と驚き、関心が芽生え始め、情報がすぐに流れてしまわないように、右から入った話がすぐに左から漏れないよう左の耳の穴に急遽フタをする心持ちになりました。

なお、丁寧な口調で話す博識そうな男性は大学の教授とのこと。教授は、『チンパンジーやゴリラも集団(群れ)を作りますが、それはヒトほど複雑ではありません。ヒトは配偶者や親兄弟など家族の他にも職場や地域など、それぞれの集団において意思疎通を図り、関係を築くことが可能です。』と語ります。

ふむふむ…、と私。

『そこで、ちょっとよく見ていただきたいのですが、…

(ヒト、チンパンジー、ゴリラ、顔のアップの写真が出される)、瞳に違いがありますよね。』と教授。

「あー!白目?ヒトには白目があるけどチンパンジーやゴリラは黒目しかない?」と、司会者やゲストが口々に。

『そうなんですよ、チンパンジーやゴリラには白目がないんですね。ね、真っ黒でしょう?どういうことかと言いますとね…、』と話を続ける教授。

…ん?どういうこと?と耳が幾分広がった気がする私。

教授の話によれば、ヒトは白目と黒目の二色があることで、どの方向を見ているかということ(黒目の位置の動きがはっきり分かること)やアイコンタクトにとどまらず、相手が元気なのか悩みがあるのかなど心境を察するのにも役立てていて、だからこそ、複数の集団の中でもそれぞれに属することが出来、複雑な関係にも順応出来ている、とのこと。

『…ですので、ヒトの瞳、黒目の動きが認識できる範囲が、本来ならばヒト同士で関わる最良の距離間なのです。』

黒と白を有する目であることが仲間とコミュニケーションを図る上でどんなに便利で優れているか…、今まで考えることもなかった私には、教授の言葉はまさに目からウロコでした。 

しかしながら教授の言う、「目の色の違いが判別可能な距離が本来のヒトとヒトの望ましい距離間」という話には納得しつつも、現代では人がすぐ傍に居なくても、通信機器の発達と普及のおかげで意思疎通が可能です。

また、最新機種の有能さには、「(より)遠方でも安定した通信」という条件も入っていることでしょう。

さらに近年においては、新型コロナウィルス感染症の予防として、人との密を避け、人との距離を置くことが最善策とされました。 

感染症対策として、人に近寄らない、距離を空ける、人と会わないというそれらの試みは、例えば、ごく親しい関係者が入院した際、直に顔を合わせて見舞うことさえままならない不便や辛さがある一方で、会いたくない人に会わずに済む、行きたくない会合に参加せずに済むなど、最初から人と疎遠を望んでいた人にとっては、ソーシャルディスタンスが人と会わない為の都合の良い口実になり得たとも思うのです。

通信や技術が進み、便利な世の中になるほど、過去には不可能だった遠距離間の通信も可能となり、人と人との距離が広がる一方、前述の通り、新型コロナウィルスの感染対策が更に人との距離を広げることとなりました。

ちなみに、「表情」というと顔の表(おもて)、顔全体に心の動きが表れているような印象がありますが、その心の動き、感情というものの多くは目からうかがうことができそうですね。

例えば、「目は口ほどにものをいう」(目は口以上にその人の感情を表す…ことわざ)とか「目が泳ぐ」(ひどく動揺したり焦りを感じた時の状態を、黒目が左右に揺れ動き、泳いでいるようだとする慣用句)などの言葉があるように、表情を読み取るとは目の動きから察知するものが多いのではないかと思います。

しかしながら、現代においては電話やスマートフォン、インターネットのおかげで顔を合わせなくても、目を見なくても、或いは発する言葉がなくても意思疎通が図れるツールは増えるばかり。

その便利な道具に多くの人間が恩恵を受けています。

ヒトが、ちょっとした目の動きでも相手の心の動きを感じ取る(あるいは感じ取ろうとする)能力でコミュニケーションを円滑にし、より高度な社会性を身につけて進化をたどったとするのなら、今の様に、目の動きが分からないくらい人と人の距離が離れている状況に不都合がなく、更には人と会うことが煩わしい、または時間短縮とばかり通信機器に意思疎通を頼ってばかりの現況に違和感がないのでは、もはや白目の部分はコミュニケーションツールとしての価値が低いのかも知れません。

そういえば、宇宙人の存在は定かではありませんが、私たちが想像する宇宙人(地球外生命体)は高度な文明を持ち、言葉ではなく意思疎通はテレパシーで図っているとも言われています。なお、彼らの目は白い部分がなく、黒一色のイメージが多い気がします。 

ヒトが白黒二色ある目の色の違いから多くの情報を得てコミュニケーションに役立て、それがヒトの進化に関与していたのは過去の話とばかりに、その能力を使う機会が減少し続け、意思疎通に最適な距離というものも完全になくなってしまった時、、、その時が訪れるのかどうか、また、訪れたとしても何十年後、何百年後かは分かりませんが、人間の目の色は一体どうなっているのでしょうね。 

ひょっとして、いま私たちの想像している宇宙人の様な黒一色の目になっているのでしょうか。

もし仮にその様な身体的な変化が実際に起こったとしたならば……、私はもうその頃は、さすがに生きてはいないと思いますが、

「ヒトの目の黒目一色化は進化なのか退化なのか」

冒頭のテレビ番組の様に議論されたり専門家による説明が大衆に向けてなされるのかも知れませんね。(その時点でのテレビの存在自体もナゾですが☆) 

  

 

  

       

  

  

コメント

タイトルとURLをコピーしました