甘い思い出

ふみの縁側茶話会

彼岸花の時期が終わりを告げる頃、金木犀の香りが漂い始めます。

それは、度々訪れた台風の心配からもようやく解放され、やっと落ち着いた天候の中で咲くことが出来ると金木犀自身が判断した頃合いなのかも知れません。

ちなみに、私が幼稚園入園直前から10年ほど住んでいた家は、築年数もそれなりにあってか、歴史の感じられる建物でした。例えばトイレは外だったので子供にはそれがちょっと怖かったりもしましたが、トイレの向こうに広がる裏庭は子供が走り回れるほどの広さがあり、色々な植物も植えられていたのでどんな花が咲くのか、どんな実がなるのかとても楽しみだったことを今でも覚えています。

植物たちが立派に成長している庭の状態そのままで私たち家族は引っ越してきたので、いわば私たちの方が新参者でした。

なお、季節の移り変わりはそれぞれの植物が、色や形、花などの変化をもって知らせてくれました。

その中でも季節の便りを強烈に届けてくれたのは、庭の中央に鎮座していた金木犀の巨木でした。

どれほどの大きさにまで金木犀が成長するのかは私には判りませんが、当時で木の高さはゆうに3mほどはあったでしょうか。小学生の私が金木犀に上ったりしていましたので(母に注意されましたが)。

その金木犀の花が咲く頃になれば私は母に頼んで枝を少し切ってもらい、小学校に持っていきました。当時の小学校では教室に飾る花は生徒が家から持参していました。庭や畑で育てている花がある家の子らが、咲いた花を新聞紙で包んで学校に持って行き、クラスの花係に渡していたのです。

花係は渡された花を花瓶に生けたり、毎日水を変えるという仕事の他に、まず、花を持ってきてくれた人のお礼を朝の会の時にみんなの前で言いました。

みんなの前でお礼を言われるのは、ちょっぴり恥ずかしいながらもいい気分ですし、なにより自分が持ってきた花で教室が華やかになるのは嬉しいものです。だからか、お花を持ってくることが出来る子は率先して持参していたと思います。

だったらば、裏庭に様々な植物が植えられていたという私はさぞかし色んな種類の花を学校に持って行っていたのでは?と思われるかも知れませんね。

しかしながら、学校の教室で花瓶に生けるような花は意外に私の家の裏庭にはありませんでした。裏庭には山椒、ゆすらうめ、柿、金木犀、の木の他に、ユキノシタやドクダミが茂っておりました。

持って行けるとするなら金木犀の花ぐらいでしょうか。

それでも、金木犀の小さな花は少し当たっただけでもバラバラと落ちてしまいます。金木犀の花を母に切ってもらって新聞紙にくるむ時点でも花は落ち、徒歩通学の途中にも振動でも花は落ち、、、では学校に着いた時にはどれほどの花が残っていたかというと、今思うと、とてもじゃないけれどクラスのみんなからお礼を言われるほどには残っていなかったと思うんですね。

そんなこと(金木犀は少し当たっただけで花が落ちてしまうこと)を分かっていながらも母は、花を学校に持って行きたいという私に金木犀の花を切って準備をしてくれました。きっと、良い香りのする金木犀をクラスのお友達にもおすそ分けしてあげたいと私が思っているとふんだのでしょうか。クラスのお友達思いの優しい娘だと思ってくれていたのでしょうか…。   

また、お手洗いの芳香剤が世の中に出回る頃から、その種類の中に金木犀の香りがありました。金木犀の花が香ると「トイレのニオイだ!」と揶揄する子供は必ずいたものでした。しかしながら、私が学校に金木犀の花を持参した時には「トイレのニオイだ!」とか、芳香剤の商品名を言ってからかう子は皆無でした。

お花を前にすれば人は優しくなれるのでしょうか。

母にしろクラスメイトにしろ、金木犀を嬉しそうに抱える私に、気分が不快になるような言葉を言う事は一度たりともなかったのです。母は私に「金木犀なんて持って行ってもすぐにバラバラと花が落ちるから掃除も大変だろうから持って行かない方がいいよ。」と思わなくはなかった気もしますが、一度もそんなことは私に言いませんでしたし、花係の子もクラスのみんなも金木犀の香りをからかったり、すぐに落ちる花びらの非難をすることは一切ありませんでした。

今は(花や植物の)アレルギーを抱える子供も多く、教室にお花を飾ることもはばかられるのかも知れませんが、私の子供の頃はアレルギーなんて聞いたこともなかった古き良き時代。

裏庭に咲く花が乏しい中、金木犀を持たせてくれた母、花を喜んでくれたクラスメイト。私の中では懐かしい思い出です。今思い起こせばやはり私の虚栄心混じりの親切心が尊いのではなく、金木犀を学校に持ってい行きたいという私の思いに母やクラスメイトがケチもつけずに甘んじてくれた、その気遣いが尊いのだと思えます。

さて、実際の金木犀の香りを楽しめる時期は案外少なく、一雨ごとに散る金木犀の花の名残りと引き換えに冬が顔をのぞかせるようです。

金木犀の香りを楽しむことのできる短い期間には、その甘い香りに、今はもうなくなってしまった金木犀の巨木があった実家の庭と、母やクラスメイトの私への気遣いが思い出されます。

母は草葉の陰で苦笑いをしているかもしれませんが。

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