当たりみかん

ふみの縁側茶話会

先日、久々に食べたみかんに驚いた。
イマドキのみかんはこんなにも甘いのか。たまたま頂き物を口にしたものの、普段は自分で買ってまでみかんを食べることはない。
なぜなら私の中ではみかんは酸っぱくて当然の果物。品種改良で多少糖度が高くなったといえ所詮は柑橘類。甘さを期待するなら、初めからみかんではなく他の果物を食べた方が無難と思っていたからだ。

私が小学生の頃、時は昭和も終わりの時代。
冬になると家での過ごし方として、こたつに入ってテレビを観ながらみかんを食べるというのは定番で、どこの家でも「テレビ・こたつ・みかん」の3点は同じ部屋にセットとして存在していた(と思う)。


ちなみにこの当時のみかんは特に酸い甘いもなく、味も印象も薄かった。だからだろうか、特に空腹でなくても、こたつに入って目の前にみかんがあるとなんとなくみかんに手が伸びた。
なんとなく以外にも、おやつや食後の果物としてこたつに入る各々がみかんを食べても、段ボールの箱単位で親が購入していたみかんは適度に補充され、みかんが盛られているカゴが空になるということは一度も起こらなかった。

 それは春になりこたつが片付けられるその時まで続いた。こたつとみかんは言わば一蓮托生だった。

なお、こたつで食べていたのは殆どが味の薄いみかんではあったものの、ごくたまに甘めのみかんに当たることがあった。
それは文字通り「当たりみかん」だった。甘めといっても甘いような気がするだけで実際の糖度は他のみかんとの差はそれほどなかったかも知れない。

それでもささやかな甘みが嬉しくて、その時にこたつに入っている誰か(それは概ね母だった)にも当たりみかんの何房かを、
「甘いから食べてみて。」と勧め、また逆に自分が勧められることもあった。 
わずかでも甘さを感じ、おいしいと思ったみかんをこたつに集う者同士で分かち合うその思いやりが心に妙に温かく、勧められたみかんが本当に甘いかどうかなどはどちらでも良かった気がする。なぜなら、甘いからと勧められたみかんに対し、
「ほんまや、甘いなぁ。」と同調はしても、「甘くない。」と自分が否定をしたり、或いは誰かに否定されることなど一度もなかったからだ。

そもそも屋外で遊ぶことが好きな子供だった私が、なぜ冬の思い出は外ではなく居間が多いのだろう。

ふり返ってみると、寒くなるにつれ年末の大掃除の前哨戦ともいえる様々な用事を親から言われることが増え、必然的に外へ遊びに行きづらくなっていたのは確かだった。
いつ頼まれるか分からない手伝いの為、母の声が届く範囲にいるようにするには、自室ではなく居間にいるのが無難だった。だから、こたつに入ってテレビを観ながらよくみかんを食べていたものだった。

ただ、夕方になるまでは子供が喜びそうなテレビ番組はなく、夕方になれば残念ながらチャンネルの選択権は仕事から帰ってきた大人たちへ移ってしまった。また冬休みは、夏休みのように朝から子供向けのアニメ番組が放映されておらず、夢中になってテレビを観るということは殆どなかったように思う。

なので、退屈を紛らわせる為、こたつに置かれているみかんでよく暇つぶしをしたものだった。 
例えば、
みかんは放射線状に皮(外皮)剥く場合が殆どかと思うが、あえてリンゴの皮を包丁で剥くようにクルクルと手で剥いてみる。途中でちぎれてしまわないように慎重に、いかに長くみかんの皮を1本の紐状に剥けるかに挑戦。

皮が剥ければ今度は薄皮に付いている※白い筋取りをする。できる限り筋を残さぬようキレイに取り除くことに挑戦。

(※白い筋…みかんの皮や袋筋にたくさん含まれるヘスペリジンはポリフェノールの一種で、高血圧や動脈硬化を予防し、中性脂肪を分解する効果が。また、食物繊維ペクチンはコレステロール値を抑え整腸作用の優れものである…これらのことから、できれば取り除かず果実と一緒に摂取した方が体には良さそう)

薄皮から白い筋をどんなにキレイに剥がしても、それは誰かの為ではなく結局は自分が食べることになるのだが、時間をかけ非常に丁寧に剥いたみかんはパクパクと一気に口に放り込むのは忍びなく、ひと房ずつゆっくり噛みしめた。

それは当たりみかんではなかったけれど、少し甘いような気がした。

ちなみに、先日の頂き物の甘いみかんはその後スーパーでも見かける。とても甘かった大当たりのみかんにふさわしく、その値段は私には高級フルーツに思えた。 

私が小学生だったあの頃、もしも味も印象も薄いみかんではなく大当たりの甘い甘い高級みかんがこたつの上に鎮座していたなら、「これ、甘いから食べてみて。」と、当たりみかんのおすそ分けを、こたつに入っている誰かへすることは皆無だっただろう。なぜなら置かれていたみかんは当たりはずれもなく、全てが大当たり。とてもとても甘いみかんなのだから。

さらには価格的に高級なみかんを親が箱買いすることも想像しがたく、そうなるといつでもこたつの上に常備されていた果物にはなりえなかっただろう。

当時のみかんは、風邪などの感染症が流行する乾燥の時期に手軽なビタミン摂取、風邪予防として重宝しつつ、今よりもはるかに娯楽の少なかった時代に、昭和の子供たちの様々な挑戦、遊びに付き合ってくれていた気がする。食べる物を使って遊ぶというのはけして褒められたことではないが、みかんでお手玉をしたり、又はみかんを食べる際、皮の剥き方などにちょっとしたルールを決めて楽しんでいたのは私以外にもきっと大勢いたのでは……。

そんなみかんのことを味も印象も薄かったと前述したが、みかんにまつわるその頃の思い出は何十年経った今も色濃く残っている。    

           

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