私の子供の頃は田畑も野山も自宅から比較的近くにあり、母と一緒によく出掛けていたのを覚えています。
ものごころつく頃、私は母に手を引かれ、毎日保育所ではなく畑へと通っていました。それは、当時、父が会社員と兼業農家の二足のわらじを履き、母は専業主婦。幼い私の面倒はいつも母が見てくれていたのでしょう。
平日、父が会社へと家を出た後、母は私を連れて自宅から歩いて10分ほどの畑へ向かい、ビニルハウスの温度調節や草引きなど、そのときどきに必要な農作業をしていました。その間、私は畑の周辺で一人で遊んでいたのでした。
母と出掛ける先が畑から山へ変わったのは私が幼稚園に上がった頃。冬以外は散歩を兼ねてだいたい週に1回ほど。しかしながら春になればほぼ毎日。授業も少ない小学校低学年では私は春は山菜採り要員として学校から帰宅するや否や母に山へ連れて行かれたものでした。
野山に私をよく連れ出した母に対し、父は泳いだり魚釣りなど、私を海や川へとよく連れて行ってくれました。
そんなこんなで私の子供時代は自然に触れる機会が多かった、というより、特に幼い頃の私には草花や小さな生き物が、家族以外に唯一毎日顔を合わせていた友達だったのかも知れません。
ここまでの話なら「へえ、小さい頃から子供を自然に慣れ親しませる良いご両親だったのですね。」と感想を持つ方もいらっしゃるかも知れません。確かに、両親の出身地はそれぞれに違うものの、生まれは田舎の山奥だったゆえに自分たちの経験や知識から、「ここまでは安全」とか「これは危険」など、動植物の状態、或いは自然に対して様々に判断基準を持っていて、私は親の目が及ぶ安全域で気ままに遊んでいましたし、また、親の注意を聞いていれば絶対に安全だとも信じていました。
しかしながら、両親の持つ「安全か危険か」の判断には時にユルさもありました。
例えば、こんなことがありました。私が小学校2年生の頃。母と山へ出かけていた私。何かを包むかのように葉が折り曲げられている青いススキを母がちぎってきました。隙間もなくきれいに塞がれていたススキの包みの中は見えません。たぶん、何かの虫がこの包みを作り、また包みの中には何かの虫が潜んでいるように思うものの、どんな生き物がいるのか想像もつかない私。
「開けてみたら?」と母は私に言いました。その時、私は中に何が入っているのかを母に尋ねませんでした。母は良い意味で私を驚かそうとしている様にも思えたので、開ける前に中の正体を知ろうとするのは何となくためらわれたのです。
多分、私の予想では、この時母は葉が丸められ塞がれたススキの中に何らかの昆虫の赤ちゃんがいると思っていたような気がするのです。赤ちゃんが入っているだろうススキのゆりかごをこじ開けて壊したとしても、小さな虫の赤ちゃんを私に見せようとしたのではないかと。そして、その、何らかの虫の赤ちゃんを見た私が「わぁ、可愛い!」と喜ぶことも脳裏にあったんではなかと思うのです。(あくまでも想像ですが)
ですが、そのススキの包みは開けてびっくり玉手箱。もとい「開けてびっくりススキの巣」。
ススキが曲げられたその包みを手で開いた瞬間、何かが飛び出しました。その時、私は何かによって左手の親指を刺されたか咬まれたのだと思います。指はみるみる腫れ、山から帰宅後、母が市販薬を塗ってくれてもおさまらず、結局、私は母に付き添われバスに乗って病院に行くことに。
ぽんぽんに腫れ、酷くなる指の痛みに泣き続けていた私は、病院で大小2本の注射を打たれ、更に泣く羽目になります。
その泣きっぷりは、患部や注射の痛みにとどまらず、ただ、丸まったススキを母に勧められて開けただけなのに、ナゼ私はこんなに痛い思いをしなければならないのか、ナゼ母は私に謝りもしないのだろうか…、母に対して無言の抗議も含まれていたように思います。
あとで分かったことは、ススキを開いた瞬間に飛び出して私を親指を咬んだ生き物はクモでした。
どんなクモなのかは、覚えてなかったのですが(当時、医者から説明を受けたかも知れませんが)、今回調べてみました。
当時の状況から察するに、どうやら「カバキコマチグモ」(ササグモとも呼ばれる)で間違いなさそうです。母グモはススキなどの葉でチマキの様に巻いた巣を作り、夏から秋には産室とし、孵化した子グモたちを外敵から守るだけに留まらず、やがて自らを子グモのエサとしてその身を捧げるという特徴があり、またこのクモの毒については「体長10~15mmの小ぶりながら在来種の中では最も毒が強く、咬まれた時の症状は針でえぐられるような激痛と持続的な痛みと点状出血」との記載がありました。
子を守る母グモの強い母性は巣を壊されたことで怒り心頭。攻撃的に私の指を咬んだのも今なら理解できますが、強い痛みを伴うその神経毒は有毒動物ランキングでも上位とされるカバキコマチグモ。当時小2だった私がその痛みで大泣きをした記憶もけして大げさではなかったのでしょうね。
その後、不快な症状も長引かずに治りが早かったのは不幸中の幸いでしたが。
ただ、クモが咬んだ部分(親指の腹)ですが、何十年と経った今でも指紋は歪んだままです。病院に行くのに少し時間がかかって処置が遅れたせいか、毒の強さによるものかは分かりませんが。
次に、父との話は未遂(カバキコマチグモの様な実害に至らず)ではあるのですが。
私が小学5年生ぐらい、父方のお婆ちゃんの家に行った時のこと。家の傍にある大きな溜め池には※ヒシが群生していて、私はそのヒシの実を採りに池に行くことを父に告げ、足取り軽く向かったのでした。甘くて美味しいヒシの実を口にする機会はめったにないので、とても楽しみだったのを今でも覚えています。
(※ヒシはミソハギ科ヒシ属の一年草の水草。池沼に生え、葉が水面に浮く浮葉植物。種子は食用にされる。別名や地方名で、オニコ、ヘシ、フシ、ヌマビシ、ミズグリなどともよばれる。ウィキペディアより)
父は「池に行くんやなー、よっしゃ、分かった。」返事をしつつも私が心配だったのか、私のあとをついてきてくれていました。お婆ちゃんの家から歩いてすぐの距離ではあったんですが…。
そして、池に到着して目にしたヒシの葉や実は、少し池の中に入っていかないと採れない場所に浮かんでいました。なので、靴や靴下もそのまま、濡れるのもおかまいなしで私は池に入っていきます。ちょうど膝上までぐらい池の中を進み、もう少しで沢山のヒシの実が採れる、その名の通りひし形で真っ黒の実が目前に現れた頃、ずっと私を見ていたであろう父が私に叫びます。
「おーい、この池はようさん(たくさん)でっかいヒルがおるぞー!!」
…(ヒ、ヒル?)
父のその言葉に私は目の前のヒシの実を瞬時に諦め、体の向きを180度変え、血相も変え、池のふちまで急ぐのなんの…。見るだけでも鳥肌が立つくらい私はヒルが大の苦手でしたので、気づかないうちにヒルが靴の中に入り込んでいたらどうしよう、足にへばり付いていたらどうしよう、とパニックに。めったに口にすることのないヒシの実が食べられることに浮かれ、天国を目前としていた気持ちも父の「ヒル」という一声で、私は「ヘル」(地獄)に突き落とされた気分でした。
幸いにも池からあがった私の足や靴の中にもヒルの姿はありませんでした。が、もし父の言う大きなヒルを1匹でも見つけてしまえば私は冗談抜きに気絶していたかも知れません。
無事といえば無事ではありましたが、甘い果実を食べられると浮かれた気持ちが一転、地獄へと早変わりした状況とこの時の父への不信感は忘れようのない記憶となってしまいました。なぜ父は、私が池に行くと言ったその時にヒルの存在を教えてくれなかったのか、或いは池に入りかけた時点で私を止めなかったのか、、、。
その後、何十年経った今もヒシの実を口にすることはないままですが、ヒルに出会うリスクを冒してまで食べたいとは思いません。
私が体験したような、一生忘れそうもない幼少期の記憶は人それぞれにあろうかと思います。
幼児の体験というのは、見るもの触れるものそのどれもが新しく、驚きに満ちていることでしょう。感動も恐怖も強烈に、時として死ぬまで忘れられない記憶として心に留まったりするのだと思います。
恐怖や嫌悪など「負」の感情が強くインプットされた場合、トラウマになってしまうこともあるようですが、私の場合は、母がくれたススキを開き「カバキコマチグモ」(ササグモ)に咬まれたことも、父が遅ればせで放った「ヒル」という一言も、それぞれがこの先もずっと(一生)忘れない強烈な思い出となりそうですが(苦笑)、幸いトラウマという自覚はありません。
なぜなら、田舎で育った両親による知識や体験のおかげで親の監督下、私は安全に野の花を摘んだり、生き物を捕まえたりして、自然の中でのびのびと楽しく幼少期を過ごせたことを感謝していますし、また、活発で、時に危なげな私の行動は幾度となく親をヒヤヒヤさせただろうという負い目もあります。そういう思いがトラウマ回避の一助となっているのかも知れません。
ともあれ、自然や野生の動植物についてどれほど詳しくても、昨今では環境の急激な変化などにより、今までの常識や知識では説明がつかないことも少なくないでしょうし、万全を期しても思いがけないことが起こるのが自然ではないかと思います。 山や海、川など、季節や場所に応じた備えをきちんとして出かけても事故に遭ってしまうように。
それらを鑑みるに、私は大きな河川で遊泳中に流されたり(父に救出される)、マムシに飛び掛かられそうになったり(母に動くなと怒鳴られる)、あげればキリのないほど色々あったのですが大事故に至ることのなかった私は本当にラッキーだったのだと思います。
クモに咬まれた親指の腹をふと見れば、やはり指紋は歪んだままですが長い時を経て傷は小さく目立たなくなりました。幸いなことです。クモに咬まれた経緯にしても当時は母に不信感さえ抱きましたが、もうとっくに時効を迎えています。母との良い思い出の一つです。
そして、気が付きました。私が傷跡を見る時の手のカタチは、指を握ったグーの状態から親指を1本だけ立てた「いいね!」のサイン。
(あれ??)……。頻繁に傷跡を見ていたワケではありませんが、ふと、何気に見ていた時、「いいね!」サインになっていたとは。
忌むべく思い出の象徴だった指の傷も、その傷を目にする時、自分に「いいね!」をしていたのですね。
自然の中で遊びまわった子供時代の思い出も、親のおかげで大けがに至らずに済んだ数々のやんちゃぶりも、全てがラッキーと感謝の詰まった「いいね!」。
そのことをカバキコマチグモの傷跡は、ずっと私に教えてくれていたのですね、きっと。
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