数年前の夏。この年も例年同様の酷暑で水田の横を走るU字溝はカラカラに乾いていた。30㎝ほどの深さのU字溝の表面はツルツルでしかも頑丈なコンクリート製、ヒビ割れから雑草が根を張ることもなく、日陰も全くない炎天下、U字のカタチをした溝はオーブンで焼かれるパウンドケーキの型を私に想像させた。
その溝の底には干物と化したカエルたちのおびただしい骸があった。U字溝のすぐ隣の水田には稲が青々と育っており、稲の根本には10㎝程度の水も溜まっていた。水というより実際にはぬるま湯だったが、それでも40℃近い気温が連日続く真夏日、カエルのように水がなくては生きていけない両生類にとっては紛れもない命の水だった。
たまたま水田からエサを追いかけるなど何らかの事情で陸に上がり草むらを歩いていた時、或いは飛び跳ねた瞬間、U字溝に落ちてしまったカエルらは、コンクリートの壁を這い上がることができず、じりじりと照り続ける太陽に体力を奪われ、雨乞い空しく脱出も叶わずに最期を迎えてしまったのだろう。
改めて溝を覗いてみると、這いあがる場所を探すかのように飛び跳ねたり、或いは体力温存の為に動かないでいたりとカエルによって様子は様々だったが、とにかく、地獄のようなU字溝の底でも、いま、命あるカエルは亡骸よりも多くいた。さっきまでいたであろう隣の水田へ或いは青い草むらへどうにかして戻してあげなくては。
とっさに私は溝の底で弱っている(或いは、今は元気でもこれから弱ってしまうだろう)カエルを捕まえては隣の水田に移していった。そうやってカエルを水田に放ったとしても水田から這い出てU字溝にまた再び落ちてしまったら結局は同じことじゃないか、という思いは私の中では全く浮かばなかった。自然で暮らす生物にヒトが不用意に介入をするのもどうかと常々思っている私であるにも関わらず、この時ばかりはなんの躊躇もなく「U字溝カエル救出大作戦」を決行していた。
それは、干物になった蛙たちへの同情以上にU字溝が自然の産物ではなかったからである。近年の異常なほどの暑さ、地球温暖化もヒトが起因しているのだろうと思うが、少なくともU字溝は間違いなく人の手によって作られ、田んぼの傍に設置されるようになってしまった。
このU字溝という人工物の溝が設置されたがばかりに、私には溝に落ちたカエルらがヒトの都合の為に無駄死にを余儀なくされた犠牲者に映った。コンクリートではなく昔からある土の溝なら日照りが続いたとしても土の凹凸や草木などを足掛かりにし、カエルたちは水のある所へ軽々と移動しただろうから。
特に地面を這ったり歩いたりが常で、草木や壁面などを登るのが不得意な、或いは全く登れない種類のカエルには、年々田畑が減少し生息地を失いつつある状況以上にコンクリート製のU字溝は容赦のないサドンデス。溝の中が雨で満ち、或いは溝からあふれ出すほどの水量がカエルを陸へと押し上げない限り、溝に落ちたら最期、助かるすべは皆無だった。
なので、溝に落ちてしまったカエルたちの救出は私の善行という美談では微塵もなく、カエルに対しU字溝を設置してごめんなさいという気持ちがそうさせただけだった。私がU字溝を発明したり又はU字溝をあちこちに取り付けたわけでもないが、私自身、何らかの繋がりでU字溝の恩恵をきっと受けている。
この日以降、休みの日にはU字溝が脇に走る水田に出かけ、相変わらず干からびている溝の、その溝の底で干からびてしまいそうなカエルをすくっては水田に放すというカエル救助を続けていた。
とにかく、生命力のすこぶる強い雑草ですら気温の高さと雨の少なさから枯れるものが珍しくなく、熱中症に倒れる人間は後を絶たず、雨らしい雨もなく、ただただ毎日が異様に暑かった。小さく非力なカエルにとってこの酷暑は炎天地獄だったろう。それに追い打ちをかけるようにカエルたちの棲む水田のすぐ隣には罠の様なU字溝がけして閉じることのない大きな口を開けていた。
ある休みの日、私はカエル救助を後回しにガラガラ抽選会の券を握ってドラッグストアーに出かけていた。毎年お盆の頃に開催される某ドラッグストアーの抽選会。買い物額に応じて抽選券が配布されるのだが、よく買い物に利用する店だったので毎年たくさんの抽選券をもらっていたし、ハズレがなく必ず何かの賞品がもらえるということで毎年必ず参加していた。
だが、当たりといえるかどうかはさておき、残念賞という名のポケットティッシュばかりが当たった年もあったりで、残念賞や参加賞しかもらっていない過去の抽選会の結果と同様、今回も全く期待はなかった。特に今回は抽選券も4枚きりだし、本音を言えば抽選会に行かないならそれでもいいとさえ思っていた。今までそれなりの抽選券を握りしめガラゴロまわしても大したものを当てていないのに、4枚で豪華な品物が当たるなど到底思えない。また、使わないままのポケットテッシュは家に沢山ある。もう充分だった。でもとりあえずは開店と同時にドラッグストアーを訪れた。抽選券分のガラガラをさっさと回し、終わったらすぐにカエル救出へ向かおう、そう思っていた。
そして順番が来てガラガラ抽選機の取っ手をまわす私。沢山の玉が入った抽選機はジャラジャラと重く大きな音を立てる。1個、2個、3個、4個と続けざまにコロコロと勢いよく飛び出る玉の中に、見慣れない色の玉が混じっていた。途端、大きな鐘が鳴らされ「大当たりーー!!」と叫ぶ抽選会のスタッフ。何事かと驚く私。
どうやら店長賞が当たったらしい。賞品はなんと某ブランド米5㎏。
今まで当たりなのかハズレなのかよく分からない物しか当たったことのないガラガラ抽選会で、お米が当たるなんて本当に驚いた。
一方、持参の抽選券も少ないながら初めて賞品らしいものが当たったことは、私にはなんだかカエルの恩返しの様に感じられた。
U字溝に落ちてしまったカエル全てを助けられたわけでもないけれど、這い上がることもままならないコンクリートの溝の底、食料も水もなく夏の日差しに削られていくカエルたちの命。その多くの命のうちの幾つかの命は何とか水の広がる田んぼへと戻すことができた。田んぼに放たれたカエルはまるで水を得た魚、もとい水を得たカエル。U字溝の中のぐったりとした様子とはまるで別人(別蛙?)、心地よさげに水面に浮かび、後ろ脚をまったりと伸ばし、乾いた体をほぐす様にゆっくりと水を掻き、そしてこちらを振り返るでもなく稲の茂みの奥へゆうゆうと泳いでいった。やはりカエルはカエル。犬猫のようにこちらを振り返るような愛想はないなぁと当然のことを思いながらも、元気に泳ぐカエルの姿を見られるのを嬉しく思っていた。
いささか素っ気ないと思われたカエルとの別れのその後、ひょっとしたら、U字溝から生還を果たしたカエルや仲間たちが集まって、「うちらはみんな田んぼに逃がしてもらったんやから、あのニンゲンへのお礼はやっぱり米がええんちゃうやろか?どう思う?」…いろいろと協議の場が設けられていたかも知れない。そして相談の結果、私へのお礼はお米に決定したのだろうか。しかしながらお礼の品が何故にガラガラ抽選会の賞品となったのか、どうして私がうまく賞品を引き当てることが出来たのか、そのあたりのことはカエルの世界の門外不出的な何かが作用するのか、或いは神様が手助けをしてくれたのか…、全く想像もつかないけれど、このような想像もつかないような不思議な出来事に私は懐かしさに近いものを感じた。
今はいい年になってしまったけれど、私自身ものごころつく子供の頃からそのような不思議な出来事は話として親しんでいたのである。きっと私のような大人は少なくないだろう。祖父母が話してくれる彼らの昔話、田舎のおじさん、おばさんが聞かせてくれた土地ゆかりの昔話、そして本やテレビは日本中の実に多くの昔話を語ってくれていた。面白い話や怖い話、切ない話などなど、それらの話には大なり小なり不思議が散りばめられていた。
もし私が体験したことを昔話風にタイトルをつけたなら「蛙の恩返し」が合いそうだ。
ほんの少し前まで日本は田んぼだらけだったのだから、探してみれば本当に日本のどこかに「蛙の恩返し」的な話はあるのかも知れない。もしあるのならばどんな話なのかちょっと興味もある。
ただ、その話の内容にはコンクリートのU字溝は登場しないだろうな。
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